地上の星
血のにじむような努力を重ね、時代を築いてきた方たちがいます。
彼らはそれぞれの分野で新しい可能性を私たちに示してくれました。
彼らはまるで暗い地上に光る星のような存在です。道出版では次世代の
行く先を照らす地上の星を紹介しています。「地上の星シリーズ」の一部を
ご紹介させていただきます。特定医療法人徳州会理事長徳田虎雄氏、
志半ばで凶刃に倒れた衆議院議員石井紘基氏、日本における心臓移植の
先駆者和田寿郎氏、老人介護を芸術に昇華した映画監督新藤兼人氏、
他時代に一石を投じた巨人がそろっています。


道出版は新たな星を探しています。
私たちは本シリーズで 業界をリードする方を広く社会に紹介したいと思います。
左に挙げた著作と同様にあなたが築き上げた業績と足跡は次に続く人の指針
となることでしょう。
道出版はあなたの歴史、経験が次代を照らす光として、今を迷う人たちの
心の灯台となることを祈っています。
本シリーズではあなたの伝えたいことを、できるだけ多くの人に届くよう、お手伝い
させていただく用意があります。
どのような内容にするか の判断も含めてご相談させていただきますので、
現在原稿がなくても結構です。お気軽にお問い合わせください。

道出版株式会社    

スターゲイザープロジェクト
STARGAZER PROJECT

担当まで Tel 03-5951-4661
       Fax 03-5951-4657
E-Mail info@michishuppan.com

    特定医療法人徳州会理事長/衆議院議員

         ■ 徳田虎雄 





 

明日はいい日だ 上巻  明日はいい日だ 下巻


  
生命だけは平等だ 上巻   生命だけは平等だ 下巻

 

          トラオがゆく

徳田虎雄 昭和13年生まれの寅年。奄美群島・徳之島に育つ。医療に恵まれない離島で、小学3年生(9)のとき、急病の弟が医者に診てもらえず亡くなる、という苦い経験をする。以来、「百姓や貧乏人のせがれだろうと、夜中でも診る医者になる!」との思いから医者を志すようになった(このころから、「生命(いのち)だけは平等だ」が座右の銘となる)。

16歳のとき、徳之島の高校から大阪の高校へ編入。「早飯、早グソ、貧乏ゆすり(勉強中に眠気が襲ってくるたび、これで乗り切ったという)」を実践し、1日16時間は机に向かうというハードな受験勉強の末、大阪大学医学部に合格を果たす。在学中に故郷の徳之島から幼なじみの秀子を呼び結婚。秀子もまた苦学の末、近畿大学薬学部に合格。秀子夫人は「あの頃の辛さを思えば、何だって出来ます」と当時を振り返る。

阪大在学中には、「博士号ボイコット運動」を組織し、東大、京大、九大全国の大学を オルグして回る。多くの医学生が博士号を取ることに汲々とし、臨床経験をおろそかにし、 日本の臨床医学のレベルが低いままであったからだ。

衆議院議員 

■ 石井紘基 






   

日本を食いつくす寄生虫   だれも知らない日本国の裏帳簿

1940年11月 東京都世田谷区代沢生まれ。池之上小、成城学園中・高、中央大学法学部卒。早稲田大学大学院・モスクワ大学大学院修了。法哲学博士。東海大講師。
1993年 衆議院議員に日本新党から出馬、初当選以来、当選3回(東京6区選出)。労働・商工・安全保障各委員会理事、総務庁政務次官、国土審議官委員、衆議員決算行政監視委員会理事を歴任。自社さ連立時代に国民会計検査院を創設し代表を務め、零細企業の経営環境整備議員の会幹事長、日米議員連盟副会長、男女共同参画委副会長などを歴任。国会Gメン室長。
衆院災害特別委員長、決算行政監視委員、および民主党東京都連副会長在任に帰らぬ人となる(20021025)。


世界心臓胸部外科学会会頭/札幌偉大名誉教授 

■ 和田寿郎 

 

       

   ふたつの死からひとつの生命を

    和田寿郎 - 医学者、心臓移植札幌医大名誉教授、和田寿郎記念心臓肺研究所所長、世界心臓胸部外科学会創設会頭、世界臓器移植免疫学会創立会長、国際胸部変形学会創立会長、汎太平洋外科学会(米、元会長)日本代表、有楽町電機ビルクリニック及び新宿石川病院顧問、外国特派員クラブ医療顧問、横山国際奨学財団研究所最高顧問、メディカルトリビューン社参与  1968年日本発の心臓移植を行い、心臓臓器不全の患者に一筋の光明をもたらす。しかし先進者に冷たい日本独特の風土と一部の悪意により、水面下の中傷と誹謗を受ける。その英断の功績は37年後の現在、ようやく認められつつある。

映画監督 

  新藤兼人

                   

        

                  生きたい

   明治45年広島県生まれ。昭和9年新興キネマに入社、溝口健二監督に師事してシナリオを学ぶ。昭和19年松竹大船撮影所に入社。傑作シナリオを多く執筆する。昭和25年に松竹退社後、近代映画協会を設立、翌26年に「愛妻物語」で監督デビュー。昭和27年「原爆の子」を製作、第八回チェコスロバキア国際映画祭でグランプリを獲得。また英国アカデミー国連賞も受賞する。
昭和35年、セリフなしの実験的映画「裸の島」を製作。モスクワ国際映画祭でグランプリ。昭和38年映画「人間」で芸術祭文部大臣賞。平成9年11月永年の映画製作に対して文化功労賞受賞。その他にも受賞歴多数。