 俺は友達のトレイシー・ガンズと一緒にRainbowにたむろってた。そこで奴は、イジーを紹介してくれた。俺たちは1日か2日ジャムって、イジーがインディアナからL.A.に越してきたばかりの友達のことを口にした。
俺たちは車でハリウッドのWhitleyにある古びた不気味なアパートに向かった。屋上に足を踏み出すと、太陽の中になにかが輝いているのが見えた。俺たちが歩いていくと、タールが塗られ燃えるように熱い屋根の上に小さなタオルを敷いて横になっている、赤毛の長髪で、肌が青白い男 ”ビル”を見つけた。
 俺がスラッシュと会ったのは、The Recycler(L.A.の情報誌)に載ってたメンバー募集の広告に応募したときだった。カンターズ・デリに行き、スラッシュとスティーヴンに会った。俺はその時、髪を赤と青に染めて、短くしていた。その夜、俺たちはWest Knollにあるスラッシュの母親の家に行った。地下室があって、そこでスラッシュはあいつが持ってたジョー・ペリーの写真を全部見せてくれた。そして、あいつはギターを弾き始めた。俺はそれを見て、「この野郎は凄えぜ!」って思ったんだ。
 イジーは自分の書いた曲に歌詞をつけていた。あいつは素晴らしいソングライターで、イジーのおかげで俺たちはバンドをスタートすることができた。
 このバンドにとって、パーティ以上にアートと音楽がなによりも優先された。あいつらは、自分たちが取り組んでいることにとことん真剣だった。自分たちのライフスタイルを持っていたけど、それは口先だけのスタイルなんてもんじゃなかった。生き抜くための手段としてそれは創り上げられていったんだ。
 俺にとってアティテュードとは、アクセルのことだった。スラッシュや他の奴らとガードナーのアパートでアクセルに会うまで、俺はアティテュードなんて、なんのことだかさっぱりわからなかったけどね。あいつらはリハーサル・ルームに座ってて、ヘロイン中毒でふらふらしてた。でも、一度リハーサルが始まると、あいつらはまるで血と汗と涙と心を犠牲にしてるようなプレイをした。あいつらは音楽に生きていた。それを見たとき、俺にはこんな生き方はできないと思った。俺はそのときバンドを組んでたけど、あいつらが持ってるものは俺にはなかった。あいつらは本当にクールでリアルだった。あいつらの音楽は、あいつらの生きざま、そのものだったんだ。
 あの5人はホームレス状態だった。なにも持ってなかったの。まともな食料さえ。でも、彼らには音楽が、楽器が、そしてステージがあった。それこそが、彼らが求めていたすべてだった。彼らは自分たちがやってることになんの不安もなかったし、自分たちに確信があったの。
 Guns N’ Rosesのメンバーたちとの生活は私の人生で最高の出来事であり、同時に最悪の体験だった。彼らと暮らしてて一番面白かったのが、“Welcome to the Jungle”を彼らが留守電に吹き込んだことね。それは“Welcome to the Jungle, you’re going to die”ってアクセルが叫ぶパートだったんだけど、週7日1日24時間、絶えずそれは鳴り出すようセットされてた。今では、あの曲の一部を聴いただけでうんざりしちゃうんだけど。
 彼らが私のオフィスにやってきて、我々は素晴らしいミーティングをすることができた。アクセルは私を見てこう言った。「オーケー、よく聞けよ。俺たちは君と契約をするけど、金曜日までに現金で75,000ドル用意してくれ」。その日は、火曜日か水曜日だった。ゲフィンは当時、ワーナー・ブラザーズの傘下だったのだが、そんな大金をすぐ用意するのは無理だった。この手の大会社は、そんなに早く動いてくれないのだ。
|