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徳田虎雄 昭和13年生まれの寅年。奄美群島・徳之島に育つ。医療に恵まれない離島で、小学3年生(9歳)のとき、急病の弟が医者に診てもらえず亡くなる、という苦い経験をする。以来、「百姓や貧乏人のせがれだろうと、夜中でも診る医者になる!」との思いから医者を志すようになった(このころから、「生命(いのち)だけは平等だ」が座右の銘となる)。
16歳のとき、徳之島の高校から大阪の高校へ編入。「早飯、早グソ、貧乏ゆすり(勉強中に眠気が襲ってくるたび、これで乗り切ったという)」を実践し、1日16時間は机に向かうというハードな受験勉強の末、大阪大学医学部に合格を果たす。在学中に故郷の徳之島から幼なじみの秀子を呼び結婚。秀子もまた苦学の末、近畿大学薬学部に合格。秀子夫人は「あの頃の辛さを思えば、何だって出来ます」と当時を振り返る。
阪大在学中には、「博士号ボイコット運動」を組織し、東大、京大、九大全国の大学を オルグして回る。多くの医学生が博士号を取ることに汲々とし、臨床経験をおろそかにし、 日本の臨床医学のレベルが低いままであったからだ。 |